令和ババァの備忘録 その4
母の新盆。
夫は義父の新盆のため帰省した。
私はひとりで母を迎える。
母の遺骨は納骨は孫の手でと、コロナの中、東京からいつ帰るかわからない娘を待っている。
迷わずに来れるのだろうか。認知症だった母は、私の部屋は覚えていないだろう。
あちらの世界が、思い出を遡って存在できるのであれば、父と知り合うことのない、ましてやその子供たちを産むこともない、私もいない、初恋の相手と一緒の空間で幸せに笑っていて欲しい。
不遇だった自分の人生を私に語る時、唯一懐かしく嬉しそうに話していた16歳の初恋の相手のこと。父が亡くなってからよく聞かされたような気がする。
父も母も私のことは忘れて、自分の一番幸せな空間にいて欲しい。
今までも本当に頼ることはできなかった実家だが、本当に無くなってしまった。
家は借家だったし、父が死んだ時母は父の物をすべて捨てたし、母が死んだ時私は母の物をすべて処分した。何も残っていないし、受け継ぐ財産もない。
私の血縁は娘ひとりになった。
見よう見まねで築いた家庭。
一戸建てとはいかなかったが3LDKの自宅、いろいろあったが娘が大学卒業までは家にいた。エンゲル係数は高かったが住宅ローンも完済し、負債はない。両親も夫の迷惑にならないように、適度な距離をとって世話をし見送った。
もう頑張らないことにしたので、夫の実家は遠い場所に置いた。
あとは自分のことだけ考えよう。
母が死に近づいていく過程の身体と精神の変化を、しっかりと見せつけてくれた。
母の様にはならいとは言えない。まだ自分があるうちに娘にはありがとうを話しておこう。自分が壊れてしまった時のごめんなさいも伝えておこう。
真っ白だった私の木綿の手拭いは、洗っても洗ってもシミは残り繊維は硬くなってしまった。ただ今は、わずかに存在する白い部分に丁寧にアイロンをかけて、それを膝に置き、背筋をしゃんとして娘の話を聞こう。
もう少し娘の前では、しっかり母さんでいたいとも思う、迷える令和ババァがそこにいるのが厄介ではある。