令和ババァの備忘録 その3

朝食を作りながら思う。

おはようの挨拶をしたら、後片付けのことも気にしないで、そのまま朝ごはんを食べられるのはどんな感じなのだろう。

外食すれば作ることも片付けも気にしなくて良い。ただ、起きたてのゆるさと無防備さを味わうことはできない。『私作る人、僕食べる人』の批判された昔のコマーシャル型の夫婦関係を継続してきたので、夫に期待することはできない。

確か伊丹十三監督の映画で、死ぬ間際まで子供と夫のためにご飯を作り終えて絶命するシーンが出てくる映画があって、ずっとずっと忘れられずにいる。

私もこのパターンかもしれないと、薄ら思ったりしている。

ご飯作りが楽しかった季節はとうに過ぎ、今は可もなく不可もなくの日常習慣のひとつ。考えるのは食材と献立の組み合わせだけ、あとは他のこと考えていても身体が動くようになっている。調味料は目分量だし、テレビを見ながらでもキャベツの千切りはできる。悲しいかな、年とともに探究心は小さくなってきているので料理のレパートリーは増えない。それでも毎日作る、作る。

外食もするが家計管理は私の担当、回数や価格を考えながらのそれは心から味わい楽しめるものではない。

何も気にしないで、目の前にある私の好きな私のために作られた料理を食べてみたい。

夫や娘など身近な人では、すぐに金額やらそれまでの過程を想像してしまうから、素直に味わえない。自己評価の低さと貧乏性は令和ババァになっても変わることなく、やっぱりサマージャンボ買うしかないよなぁ。