とってんからりん

決して許したわけではない。

諦めたのだ。

自分の言葉が届かないと気づいた時、その言葉その感情その全てを飲み込もうと思った。

それが自分が自分の領域内で穏やかで平かに生きられる術だとわかったから、

ただひたすら傍観者になることでやり過ごす。

飲み込んだら傷ができて、時がたてばやがてそれはかさぶたになる。

とってんからりん、とってんからりん。

最期の最期、かさぶたはがし儀には、どんな模様の織物になっているのだろう。

 

とってんからりん

決して許したわけではない。

諦めたのだ。

自分の言葉が届かないと気づいた時、その言葉その感情その全てを飲み込もうと思った。

それが自分が自分の領域内で穏やかで平かに生きられる術だとわかったから、

ただひたすら傍観者になることでやり過ごす。

飲み込んだら傷ができて、時がたてばやがてそれはかさぶたになる。

とってんからりん、とってんからりん。

最期の最期、かさぶたはがし儀には、どんな模様の織物になっているのだろう。

 

どんづまり

全くやる気が出ない。

もう2ヶ月堂々巡り。

月曜日の縁起担ぎの拭き掃除。

日曜日だけお休みのテレビ体操10分間。

やめるにやめられないパソコンのカードゲームと間違い探しゲーム。

そして、夫がいない間のぼーっとタイムを得るための日々の家事。

夜の7時夕食後の後片付けを終えると、私の1日は終わる。

耳鳴り、肩こり、腰痛、飛蚊症、時折顔を出す偏頭痛と頻脈。

長い付き合いで折り合いつけるのも上手くなった。

ただやる気を出す方法が思い出せない。

好きな作家の文庫本は3冊買った。

途中になっている娘が買ってくれた塗り絵のためのボールペンは5色追加した。

でも、そのまま動けない。

12月末娘が帰省するまでにはと、頬杖つきながら思ったりする今日この頃。

 

令和ババァの備忘録 その4

母の新盆。

夫は義父の新盆のため帰省した。

私はひとりで母を迎える。

母の遺骨は納骨は孫の手でと、コロナの中、東京からいつ帰るかわからない娘を待っている。

迷わずに来れるのだろうか。認知症だった母は、私の部屋は覚えていないだろう。

あちらの世界が、思い出を遡って存在できるのであれば、父と知り合うことのない、ましてやその子供たちを産むこともない、私もいない、初恋の相手と一緒の空間で幸せに笑っていて欲しい。

不遇だった自分の人生を私に語る時、唯一懐かしく嬉しそうに話していた16歳の初恋の相手のこと。父が亡くなってからよく聞かされたような気がする。

父も母も私のことは忘れて、自分の一番幸せな空間にいて欲しい。

今までも本当に頼ることはできなかった実家だが、本当に無くなってしまった。

家は借家だったし、父が死んだ時母は父の物をすべて捨てたし、母が死んだ時私は母の物をすべて処分した。何も残っていないし、受け継ぐ財産もない。

私の血縁は娘ひとりになった。

見よう見まねで築いた家庭。

一戸建てとはいかなかったが3LDKの自宅、いろいろあったが娘が大学卒業までは家にいた。エンゲル係数は高かったが住宅ローンも完済し、負債はない。両親も夫の迷惑にならないように、適度な距離をとって世話をし見送った。

もう頑張らないことにしたので、夫の実家は遠い場所に置いた。

あとは自分のことだけ考えよう。

母が死に近づいていく過程の身体と精神の変化を、しっかりと見せつけてくれた。

母の様にはならいとは言えない。まだ自分があるうちに娘にはありがとうを話しておこう。自分が壊れてしまった時のごめんなさいも伝えておこう。

真っ白だった私の木綿の手拭いは、洗っても洗ってもシミは残り繊維は硬くなってしまった。ただ今は、わずかに存在する白い部分に丁寧にアイロンをかけて、それを膝に置き、背筋をしゃんとして娘の話を聞こう。

もう少し娘の前では、しっかり母さんでいたいとも思う、迷える令和ババァがそこにいるのが厄介ではある。

 

 

 

 

令和ババァの備忘録 その3

朝食を作りながら思う。

おはようの挨拶をしたら、後片付けのことも気にしないで、そのまま朝ごはんを食べられるのはどんな感じなのだろう。

外食すれば作ることも片付けも気にしなくて良い。ただ、起きたてのゆるさと無防備さを味わうことはできない。『私作る人、僕食べる人』の批判された昔のコマーシャル型の夫婦関係を継続してきたので、夫に期待することはできない。

確か伊丹十三監督の映画で、死ぬ間際まで子供と夫のためにご飯を作り終えて絶命するシーンが出てくる映画があって、ずっとずっと忘れられずにいる。

私もこのパターンかもしれないと、薄ら思ったりしている。

ご飯作りが楽しかった季節はとうに過ぎ、今は可もなく不可もなくの日常習慣のひとつ。考えるのは食材と献立の組み合わせだけ、あとは他のこと考えていても身体が動くようになっている。調味料は目分量だし、テレビを見ながらでもキャベツの千切りはできる。悲しいかな、年とともに探究心は小さくなってきているので料理のレパートリーは増えない。それでも毎日作る、作る。

外食もするが家計管理は私の担当、回数や価格を考えながらのそれは心から味わい楽しめるものではない。

何も気にしないで、目の前にある私の好きな私のために作られた料理を食べてみたい。

夫や娘など身近な人では、すぐに金額やらそれまでの過程を想像してしまうから、素直に味わえない。自己評価の低さと貧乏性は令和ババァになっても変わることなく、やっぱりサマージャンボ買うしかないよなぁ。

 

 

 

 

令和ババァの備忘録 その2

年を重ねるということは、老化による身体の変化に気付き、受け入れ、折り合いをつけていくことだ。

令和ババァは悪戦苦闘中。

昨日は冷凍スープのレンチンを失敗してしまった。

スープストックの参鶏湯、『必ずこちらを上にして』という説明書は読んだのに、意に反して自分の手は反対の行動をとったようだ。ボフッと破裂音がして、慌ててレンジの中を見たら参鶏湯の半分が外に散乱していた。あーあの昼ごはんになってしまった。

今日は今日で、レジの支払いまではうまくいったが、エコバッグに購入品を詰め替えようとした時に財布がないのに気付いた。斜めがけのショルダーバッグの中を探ったがない。レジの方向を見回したがない。どうしようと振り返って足下を見たら、ファスナーが全開の長財布が横たわっていた。店のポイントカードに割引券とレシート、支払う時のバスカードを財布に入れ、それを脇に挟んでいたことをすっかり忘れていたのだ。脇に挟んでいたのなら、その感覚が脳まで届いていても良いはずなのに。

他にも例えば、芸能人の名前が出てこない。その人の出演した番組、容姿、人間関係など連想ゲームのように出題して側にいる夫に尋ねる。それでも無理ならネットで検索して答えを探す。

確かに閉めたはずなのに、食器棚は微妙な空き具合で私が気づくのを待っている。

無意識に流れるように出来ていたことが、ひとつひとつ確認していかなければならなくなってきている。

いけない、いけない。気をつけないといけない。

でもどうして、自分を傷つけた人のことは忘れないのだろう。

粘液質な令和ババァが出来上がりつつあるのかしら・・・

 

 

 

令和ババァの備忘録 その1

昨日は大雨のため外出せずに1日を終えた。

最近は、このまま行けるとこまで家にいたい気になってしまう。しかし、専業主婦としては食材の買い出しの業務がある。日焼け止めクリームを顔と両腕に塗り、薄くなった眉をアイブロウで復活させ、日傘をさして店まで歩く。

マスクは店内のみと決めて、ハンドタオルで口と鼻をしっかり覆う。メガネを使用している者にはこの差は大きい。呼吸するたびにメガネが白く曇ることが少なくなるのだ。それにつけても、肥満度に比例する曇メガネ度合いを少しでも回避しようとする昭和乙女の可愛さの名残り。あがいていて笑える。

20分も歩けば店内が去年より冷房が強めになったとはいえ、汗の量は半端ない。タオルでマスクで隠れていた部分の汗を拭き、再びマスクをつけて額の汗を拭きのくりかえし。悲しいかな、レジでの精算時のちょっとした会話が曇メガネの最高潮になってしまう。誰も令和ババァのことなんて気にしてはいないのに、自意識過剰は消えることなく、「ありがとう」でごまかしてその場を立ち去る。

印象良く思われたいわけではなく、自分に接する人に嫌な感じを残したくないのだ。

そして、とても優しく対応してくれた人には、心を込めて私のありったけの表現力で「ありがとう」を伝える。その「ありがとう」が、その人の次の「ありがとう」を聞ける行動の原動力の何かになってくれたら嬉しい。

行きは徒歩、荷物多めの帰りはバス。

自ら丁寧な車内アナウンスしながらの運転、とても穏やかな乗り心地でした。

運転手さんありがとう。