夫 還暦

夫60歳

40年間勤めていた会社に無事再就職

8時出勤6時帰宅の生活パターンは変わらない

6時起床 朝ごはん食べて 歯磨き 髭剃り トイレタイム 血圧と体重計測 スマホチェック 出勤直前にやっと下着姿からお着替えして出社

時たま昼ごはんのメニューをLINEで知らせてくる

夕方6時帰宅 浴室で足を洗って下着姿で夜ご飯

お風呂はその時の気分で夜になるか朝風呂になるか

あとは趣味が合えば一緒にテレビを見て そうじゃなければ自分の部屋へ移動

アマゾンプライムYouTubeを見ているようだ

先に私が寝てしまうので それからの夜の過ごし方はわからない

結婚30年を軽く超えると この適度な距離感はありがたい

見なくて良いものは見ないに越したことはないし、そこに生じる感情の起伏に悩まされることもない

 

夫はあちらこちらに散らばる怒りのタネを見つけてはついばむ傾向がある

主にYouTubeからなのだが 怒りタネに関することをテレビで扱おうものなら

どうして怒っているのか事細かに私に説明してくる

あまり聞きたくない種類の言葉が出てくるので疲れてしまう

まぁそれがストレス発散になっているのだから仕方ない

母の愚痴に始まり夫の怒りの主張まで 私は二人の痰壷になる

結婚当初は穏やかで素直な夫だったが うつ病を患っってからはこの怒りのついばみで心のバランスをとっているのだろう

夫は自分の言動が どんなに納得できない内容であっても 娘と私が反論しなくなった事に気付いてはいない

 

少し気になるには 買い物欲求が強くなってきたこと

主に自分の服

ユニクロ・ワークマン・無印良品等のお手ごろ価格のものだし自分の小遣いの範囲なので文句の言いようもないのだが ここ半年で40着ほど増加している

以前の服を捨てないので収納の限界も近づいている

定年になったら買えないのだからとまだまだ続きそうである

それを洗濯しアイロンがけするのは私 衣替えするのも私

 

定年後あるいは私が先に亡くなったら 今の自分の生活パターンができなくなることを想像したことがあるのかしら

たぶんこのまま その時になって考えるのかしら

私が介護が必要になった時 舌打ちしながら行動するのは悲しいけど確か

夫より少し長く元気でいられますように

 

 

 

今日はおやすみ

今日はおやすみ

都合のいい偏頭痛

右のこめかみだけが脈を打つ

涙目になりながら便器に嘔吐する

光も嫌い

柔軟剤の香りの残るカーテンを閉める

フローリングは冷たくて心地よい

でも汗でリミットは3分

ゴロゴロしながら横になっていよう

そうだ

グラスいっぱいの氷にカルディのシークワーサー果汁を入れて

ウトウトしてたら氷溶けているかな

おやすみしたい言い訳の偏頭痛なのか

偏頭痛だからおやすみしたいのか

自分が不確かだからいつもぐるぐる

痛いのはホント

考えるのはやめて おやすみなさい

雨の日 娘も偏頭痛になっていませんように

 

 

 

ビー玉の飴玉

今日は何色のビー玉ですか?

巾着袋の紐をゆるめ、片手でかき回し取り出すのだけれど

昨日も一昨日もその前の日も同じ色

会ったことのない父の違う兄さんたちをあなたの母に預け

私の父と一緒になった

嘘つきのギャンブル依存のヒモ男と一緒になった

兄たちの面倒をみるとすぐに消えた口約束

生まれてこれなかった私の兄姉たちも含めての私の命

そして、あなたは働き続けた手を見せる

そうだね

私は口を開けないと

曲がった指でそのビー玉をつまみ、微笑みながら私の口元へ

あなたがくれた飴は味がしない

あなたがくれた飴は溶けていかない

冷たく硬く私の腹に残る

それでも今日でごちそうさま

もうビー玉は増えることはない

私の袋にもビー玉がいっぱい

娘に見せる前にはしっかり磨いて、ちょっと見栄を張りキラキラさせて

大切なのは巾着の紐

飴玉の魔法にかからないように袋の紐はしっかり結んで

 

 

 

 

 

 

 

生活保護までの道のり

ここ十数年の話である

両親の年金は月額8万円

父は年金加入が任意だったので年金納めず

母は不況で会社が倒産するまでは造船所勤務 厚生年金を受給するためには金額不足で 私の結婚式のご祝儀の一部をそれに充当

父の扶養加算を含めてのこの金額

引きこもり専業主婦である私から1万円

合計9万円が両親の生活費となる

ふすまで仕切られた畳三部屋 台所 屋外で点火するガス風呂 汲み取り式のトイレの家賃が2万7000円

光熱水道 通信費が約2万円

食費は母の通帳に記入はないので不明 

週に一度タクシーで近所に買い物に出てた

私も様子を見に 週に一度 米 インスタント食品 弁当などを届けた

家電製品が壊れた時など大きな支出がある時はすべて負担するように心がけた

老老介護ではあったがそれでどうにか上手くいっていた

 

最期まで家にいたかった父の病状が悪化し救急車で搬送され入院

そこから 両親の生活のすべてを私が仕切ることになった

母は元来働くこと以外は父任せだったし

父も役所の書類申請やその他支払い手続きなどの事務作業は

酒とパチンコ代をチョロまかしながら上手くやっていたみたいだった

 

子供の教育費 住宅ローン 子供に迷惑をかけないくらいの老後資金 

あれこれ考えこれ以上の援助は無理だと判断した

前提として 理不尽さの中 この人たちには十分恩返しはしているから

これ以上求めないでくれという感情の存在があるのも事実

 

市役所の相談室へ

ドアのついている簡易な仕切りのパイプ椅子が二脚ある空間に通される

対応してくれた人は 自分は相談に応じるだけで 生活保護を直接判断する担当ではないと説明した

⒈ 生活保護の申請理由の説明

 父が働かず母の収入に頼っていたこと ギャンブル依存症だったこと

 自分は夫の収入で親子三人生活していること その中から援助していること

 父の入院でそれが困難になると予測されること

⒉ 申請可能かの予測判断

 私の説明のほか 母の銀行通帳 年金に関する書類を提示

⒊ 申請までの経緯と必要書類の説明

 年金事務所で両親の年金加入記録の申請

 通帳の残額の確認

生活保護までの流れを相談者の立場になって説明してくれた

 

生活福祉事務所へ

⒈ 申請

 申請者は母になるので 母と一緒に出向く

 耳の遠い母は隣に座って「私は耳が聞こえないから」と繰り返すのみ

 大家さんに家賃確認書類

 扶養義務のある親戚の調査 

 扶養する意思の有無とその理由書類

⒉ 自宅調査

 認定終了後 母の担当者が自宅を訪問

 

生活保護になって

 定期的に収入の状況を記入し提出しなければならなかった

 母が毎月一回通院していた医療費も父の入院費も無料となった

 父の入院で母の一人暮らしとなったため

 前月まで二人分の保護費が支給さていたので

 父が亡くなるまでは医療費が無料だけで生活費は年金のみだった

 老人保護費は最低限の生活水準は低めに設定されているとのこと

 父の葬儀費用も幸いなことに福祉事務所指定の葬儀社だったので無料となった

 父が亡くなり年金の扶養加算もなくなったので

 母が一人暮らしをしている間は住居費分が支給された

 

こうして 父が病院で亡くなり 母が認知症病棟のある病院に入院する前の2年間

生活保護のおかげで切り抜けられた

 

私の両親のように 生活が苦しい人は助けてくれる行政機関を探すこと

今どれだけ大変なのか一生懸命話すこと それが最初の一歩だと思う

生活保護とかだと周りの人がどう思うかなんて考えない

恥も外聞も無し 頑張ってと祈る

 

怖いのは我が家がみたいに必死にしがみついている中間下部層

ギリギリの状態で生活していないのでどこまで覚悟できるのか

のほほんと過ごしているとあぶないあぶない

変なプライドなんて持たないように

いざとなれば 3分間は頑張れるウルトラマンになれますように

 

 

 

 

 

 

 

もう やぁーめぇーたっ

ダンナさんのお母さんが苦手である

クラスメイトだったら 絶対仲良くなれないタイプ

結婚したら避けられない問題

自分が嫁の立場だった頃の経験を生かし 

嫁と折り合いをつけ良好な関係を築こうとする人と

自分は我慢してきたのだからと当然嫁にもそれを求める人がいる

当然義母は後者

 

昔は気に入られようとして頑張ってはみた

義母との会話の大半は聞き役にまわり 

さらに私と二人きりになった時 義母は義祖母に昔受けた仕打ちを

義祖母は義母に今受けているいじめを話し始める

私は心でため息つきながら 同意したと思われないような薄い相槌をうつ

不思議なことに ダンナさんがいる時にはこの状況は起こらない

しかも ダンナさんに直接言えばいいのに

我が家の状況はこうだからとか もっと帰ってこいとか その不満が私に向けられる

それが毎回だと心が萎えてくる

娘が生まれてからは そのお祝い行事を相談なしに取り仕切り

独裁体制が強くなった

ダンナさんの実家に行くのが辛くなった

お盆とお正月は娘が小学生だった頃までは頑張った

ただ時折 予告なしに我が家にそれも私一人でいる時に来られる恐怖

何度ダンナさんにお願いしても 注意してくれていないのかお宅訪問は続いた

 

娘が中学生になると お盆とお正月はダンナさん一人で帰省するようになった

その時期の前後はトゲトゲしい雰囲気の中で生活が続くのだが

世間の常識に外れている自分に後ろめたさは感じつつ動かないことを選んだ

 

最後にダンナさんの実家に行ったのは娘が二十歳の時

娘の成人した報告と学費の援助のお礼に親子三人で伺った

それから現在に至るまで会っていない

 

昨年義父が亡くなり 葬儀に出席して欲しいとダンナさんに言われた

どう考えても心が無理だと 今回はつっこみ小人も出てこない

 

出席はしない

心が壊れてしまう

もし嫌なら離婚してほしい

申し訳ないけど 入院中の母が亡くなるまではここに置いてほしい

それが終わったら 自立するまでは娘のところに行くから。。。

涙が出た

わざとじゃなくて

涙が出た

 

ダンナさんは諦めた

 

結婚して以来 タップンタップンと揺れながら

あふれ出しそうになっていた負の想いが

もう やぁーめぇーたっ の呪文で消え去った

それと一緒に 私に向けられた鋭利な言葉達もかさぶたに変わった

 

嫁なのだから我慢しなさいと言い続けた母は

今年の冬 癌の痛みと認知症の霧の中から解放された

 

私は少しだけ上手く呼吸ができるようになった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おかしもどらし

持って生まれた才能は少なからず 大小 濃淡 強弱はあるにせよ

誰でもが保有しているものだ

ただそれが上手く開花するのか 二葉で終わるのか 誰かの手で摘花されてしまうのか はたまた 種子のまま土の中で朽ち果てるのかはそれぞれであるが

そんな中で分かりやすいのが容姿である

好みはあるにせよ 何をしなくともひと目見ただけで判断がついてしまう

本人の研究努力の二次的な要素で開花する事もあるので断言はできないが

確かに遺伝的要素は強い

悲しいかな我が娘はしっかりとダンナさんの血を受け継いでしまったし

母親である私も二次的要素探究は道半ばで終了してしまった

そんなこんなで 今もなお本人は無駄な努力はしないと我が道を進んでいる

中学生までは十年間の水泳経験の貯金があり 我が子ながら遠目からはクールビューティに見えなくもなかった

高校生からは女の子らしい体つきに変わり

大学生になり 人生最大の体重とともに就職活動に入る

ここから4、5年 頑張ってはいるものの迷える仔羊期になる

世間の不条理と戦って 自分の正義は通用しないことを知って それでも戦って 

気がつけば 丸かった頬は頬ぼねがわかるようになり 

疲れは切れ長の目を二重に変えて

長時間のデスクワークはファンデーションがいらないくらいの白い肌をもたらした

なんだろ? そちらの研究努力はしなかったが

この経験が二次的要素になっていたとは

たぶん長くは続くものではないと思うが この瞬間見逃さずにいれたこと

とても とても 嬉しく思うよ

娘が生まれた時 お互いの顔を見合わせ

将来娘が受けるであろう名前に関するツッコミを回避するために

『美』『麗』がつく名前はやめておこうと。。。

事あるごとに名前の由来を説明する前に話すエピソード

 

考えて考えて命名したのが生命力にあふれるあの名前

あなたはその名と二人の容姿を受け継いで

おかしもどらし世界で一番可愛い娘

ありがとね

 

 

 

 

 

 

 

蜘蛛の糸

久しぶりのランチお誘いのメール

唯一 外界と密に接触できる機会

出会いはベビースイミング

お互いの子供の名前から始まった自己紹介

それから付かず離れず四半世紀

彼女の友達とは胸張って言えるのかどうかとツッコミ小人が囁くので

仲の良いご近所さん感覚でお付き合いさせてもらっている

彼女の子供 彼女の甥や姪 娘と年が近いこともあり

いろいろな成長過程を見続けている

興味本位とも取られるが 一人っ子からの一人っ子なので

たくさんの人と接する機会が少ない私にとっては貴重な体験の機会なのだ

彼女の話の中で想像し 脳内擬似体験ができてしまう

私は彼女の話を結構記憶している

しかし 彼女は結構忘れている

それがとても心地良い

会社員の夫に対して彼女は夫婦で自営業

嫁姑の不仲は似ているが 親の生活水準の違い 子供の人生における躓き具合

同じ方向ばかり向いていたら分からなかったこと

同じ経験をしていないのだから 悩みの度合いも怒りの基準もすべて違う

毎回毎回 なるほど そうなんだ そういう考え方もあるよな。。。があって

引きこもりの私にとってはありがたい

彼女は長女で その気質で私にも接してくれる

初めて感動したのは ランチの時私の分までオーダーしてくれた事

いつもなら家族の分は私がまとめてだったので 何だかとても嬉しかった

旅行に行けば必ず娘と私にお土産を買ってきてくれるし

手芸上手で最近では手作りマスクを四枚もプレゼントしてくれた

贈り物でも自分の趣味にあわなければ 容赦なく廃棄処分にするのだか

彼女の物は長く使っている

このままダンナさんとの会話ばかりの生活が続くとヤバイなと思い始めた頃に

ランチのお誘いメールが来る

そう 私の目の前に外界に通じる蜘蛛の糸がすーっと降りてきて

いそいそと身支度してのぼっていく

あぁ 私はまだ大丈夫 外界とつながっていると再確認する

楽しい外界時間は過ぎて帰宅すると

舞踏会から帰ってきたシンデレラならまだしも

久しぶりの化粧が取れたおばさんは力尽きて長椅子になだれ込む

最近はダンナさんも分かってきて 彼女とランチするとメールしておけば

夕食はどうすると退社時にメールが来るようになった