生活保護までの道のり
ここ十数年の話である
両親の年金は月額8万円
父は年金加入が任意だったので年金納めず
母は不況で会社が倒産するまでは造船所勤務 厚生年金を受給するためには金額不足で 私の結婚式のご祝儀の一部をそれに充当
父の扶養加算を含めてのこの金額
引きこもり専業主婦である私から1万円
合計9万円が両親の生活費となる
ふすまで仕切られた畳三部屋 台所 屋外で点火するガス風呂 汲み取り式のトイレの家賃が2万7000円
光熱水道 通信費が約2万円
食費は母の通帳に記入はないので不明
週に一度タクシーで近所に買い物に出てた
私も様子を見に 週に一度 米 インスタント食品 弁当などを届けた
家電製品が壊れた時など大きな支出がある時はすべて負担するように心がけた
老老介護ではあったがそれでどうにか上手くいっていた
最期まで家にいたかった父の病状が悪化し救急車で搬送され入院
そこから 両親の生活のすべてを私が仕切ることになった
母は元来働くこと以外は父任せだったし
父も役所の書類申請やその他支払い手続きなどの事務作業は
酒とパチンコ代をチョロまかしながら上手くやっていたみたいだった
子供の教育費 住宅ローン 子供に迷惑をかけないくらいの老後資金
あれこれ考えこれ以上の援助は無理だと判断した
前提として 理不尽さの中 この人たちには十分恩返しはしているから
これ以上求めないでくれという感情の存在があるのも事実
市役所の相談室へ
ドアのついている簡易な仕切りのパイプ椅子が二脚ある空間に通される
対応してくれた人は 自分は相談に応じるだけで 生活保護を直接判断する担当ではないと説明した
⒈ 生活保護の申請理由の説明
父が働かず母の収入に頼っていたこと ギャンブル依存症だったこと
自分は夫の収入で親子三人生活していること その中から援助していること
父の入院でそれが困難になると予測されること
⒉ 申請可能かの予測判断
私の説明のほか 母の銀行通帳 年金に関する書類を提示
⒊ 申請までの経緯と必要書類の説明
年金事務所で両親の年金加入記録の申請
通帳の残額の確認
生活保護までの流れを相談者の立場になって説明してくれた
生活福祉事務所へ
⒈ 申請
申請者は母になるので 母と一緒に出向く
耳の遠い母は隣に座って「私は耳が聞こえないから」と繰り返すのみ
大家さんに家賃確認書類
扶養義務のある親戚の調査
扶養する意思の有無とその理由書類
⒉ 自宅調査
認定終了後 母の担当者が自宅を訪問
生活保護になって
定期的に収入の状況を記入し提出しなければならなかった
母が毎月一回通院していた医療費も父の入院費も無料となった
父の入院で母の一人暮らしとなったため
前月まで二人分の保護費が支給さていたので
父が亡くなるまでは医療費が無料だけで生活費は年金のみだった
老人保護費は最低限の生活水準は低めに設定されているとのこと
父の葬儀費用も幸いなことに福祉事務所指定の葬儀社だったので無料となった
父が亡くなり年金の扶養加算もなくなったので
母が一人暮らしをしている間は住居費分が支給された
こうして 父が病院で亡くなり 母が認知症病棟のある病院に入院する前の2年間
生活保護のおかげで切り抜けられた
私の両親のように 生活が苦しい人は助けてくれる行政機関を探すこと
今どれだけ大変なのか一生懸命話すこと それが最初の一歩だと思う
生活保護とかだと周りの人がどう思うかなんて考えない
恥も外聞も無し 頑張ってと祈る
怖いのは我が家がみたいに必死にしがみついている中間下部層
ギリギリの状態で生活していないのでどこまで覚悟できるのか
のほほんと過ごしているとあぶないあぶない
変なプライドなんて持たないように
いざとなれば 3分間は頑張れるウルトラマンになれますように